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洞泉寺遊郭 川本楼

洞泉寺遊郭 川本楼

先日のサイクリングで洞泉寺遊郭跡、川本楼を見学してきました。
以前より行ってみたかったところで、輪音でも紹介していますが(DEEP奈良)、当時は耐震工事中で見学できませんでした。

満を持しての登楼です。

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玄関土間の左手の壁に張られた写真から好みの女性を指名します。当時の法律ではそういう決まりだったらしい。

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ここは娼妓溜。女性たちがお客を待っていたところです。

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料金はこんな感じ。

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反射で見にくいですが、酒貮拾五銭、サイダー參拾銭ってサイダーの方が高い。

川本楼は大正11年から13年にかけて建築され、当時としては珍しい木造3階建てです。木辻、元林院、東岡とともに奈良県公認の遊郭で、昭和32年の売春防止法施行に伴い、翌年に赤線(「赤線」とは公認の遊郭で、当局が地図上に赤鉛筆で囲ったことから「赤線」と称す。「青線」は非合法で青鉛筆で囲った)が廃止されたことで妓楼としての役目を終えます。
その後は下宿屋になります。学生相手のものでなく、今でいうアパートのようなもので、ガイドさんによると、子供のころ住んでいた方がいらっしゃって、「当時を懐かしんでましたよ」というお話を伺いました。

建物の老朽化とともに廃業されます。
1999年に大和郡山市によって買い上げられ、2014年に登録有形文化財に指定されて、耐震工事の後2018年「町家物語館」として、一般公開されています。

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遊女ではなく女性ガイドさんに促されて2階に案内されます。
「よくご存じですね。いろいろ質問していただいて私も説明の甲斐がありますよ。」

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ずらりと客間が並んでいます。

これは下宿屋の名残。電気メーターが取り付けられていたそうです。

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同じく下宿屋の名残。
お気に入りの女優さんかな?

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テレビが一般的に普及するまでのラジオ受信契約証。昭和40年の国勢調査票もチラリ。

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性病と並んで結核も要注意だったんだろうね。

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窓ガラスや、

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ガス灯は、

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建築当時のオリジナルです。

各部屋にはガス灯のためのガス管が通っていました。

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川本楼で忘れていけないのは、ハートマークですね。

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これは「猪の目」といって、魔除けの意味があるそうです。
川本楼ではこの階下に台所があり、火除けの意味もあったそうです。
なんで「イノシシの目」なのかはわかりませんが、日本は古来より恐ろしいもので災いを防ぐ風習があったようです。

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猪の目だけでなく、生活感あふれるところにも様々な意匠が凝らされています。

トイレのタイル。これもオリジナルです。

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同じくトイレ。扉に松竹梅があしらわれています。

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トイレ前の廊下は現在は板張りですが、当時は分厚い板ガラスがはめ込まれ、中庭から水を引き錦鯉を泳がせていたそうです。
その板ガラスの残骸が残っていました。厚みは2cmくらいありそうです。

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タイルって新しいようでも「時代」を感じさせます。

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階段の明り取りもオシャレですね。

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純和風建築でありながらもお風呂は洋風で「テルマエロマエ」って感じがします。
天井は家紋があしらわれた漆喰の鏝絵。

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同じ建物の中で家族が住む座敷棟があるのも特徴的です。

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当時、川本楼では15人程度の遊女がいたそうです。
彼女たちの食器棚が残っています。

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借金返済のために身売りされた女性がほとんどだったらしいですが、勤めは年季制で、返済が終わっても年季明けまで勤めなければならず、短くて2年、長くて7年だったそうです。その間に命を落とした女性も多く、木辻遊郭にはそんな女性たちを葬ったお寺もあります。

小窓で勘定を済ませます。

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外観にも特徴があって、階上になるにしたがって格子が粗くなります。
1階、

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2階、

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3階。

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裏庭に面した窓には鉄格子がはめられていたらしく(戦時中に供出)、これは遊女たちの逃亡を防止するというより外部からの侵入者を防ぐものだったらしいです。

洞泉寺遊郭は歴史的に古い木辻遊郭に対して格式が低かったようですが、それでも様々な意匠が施された様子には当時の華やかさが想像されます。
どちらかといえば「陰の文化」というべきものでしょうが、物見遊山的とかではなく、人間味あふれる文化遺産として残していただきたいものです。







































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~ Comment ~

NoTitle

M田です。ご無沙汰しております。ブログを見て昨日の朝から登楼してまいりました。中に入り男性の方に案内していただき、ゆっくり貸し切りで見せて頂きました。表から見るより随分広いこと、この家の方が住まわれていたところの仕上げの豪勢さにびっくり。昔のお金持ちは使い方が違いますね。お聞きしますとこの界隈に17件あったとのこと、客の半分は大阪からとか。またお会いするのを楽しみにしています。

M田さん

コメントありがとうございます。
ガイドさんが女性と男性とで案内の仕方が違うんでしょうね。そのあたりも興味があります。
ここは博物館的でなくて、まだ生活感のようなものが残っていて素晴らしかったです。
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