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落サイ

落サイ

2017/02/11(SAT)

好きな落語のネタをテーマに走ってみました。だから、落語サイクリング=落サイ。
決して、大和川を転げ落ちたサイクリストのお話ではございません。
それでは、しばらくのあいだおつきあいを願います。


事の起こりはこの碑の存在を知ったこと。



四代目桂米團治は噺家としての収入だけでは食って行けず、ここで代書屋を開いたとか。そこに出入りする人たちをもとに「代書屋」を作った。
「儲かった日も 代書屋の同じ顔」
マクラで語られる川柳も米團治によるもの。

少し西へ走ると高津神社。
「高津の富」をはじめ、「高倉狐」、「崇徳院」など多くの噺に登場する。



さらに西へ走ると道頓堀。
今では外国人観光客でにぎわう道頓堀界隈には、古くは「道頓堀五座(浪花座・中座・角座・朝日座・弁天座)」という大劇場があり、歌舞伎、浄瑠璃、演劇などの興業でにぎわった。





道頓堀の少し南側にある法善寺横丁。
かつて「金沢亭」、「紅梅亭」という二つの寄席があったが、後の吉本興業に買収される。
東の入り口は三代目桂春團治の筆による看板。


西の入り口は藤山寛美。



さてさて、マクラが長くなったが、ここから本題に入る。

その物語はここから始まる。
冷え気に悩む男が甚兵衛はんのところへやってきて。



「うちを表へ出ると、これが丼池(どぶいけ)筋じゃ。これをド~ンと北へ突き当たるなぁ」
「わぁ~、デボチン打ちまんなぁ」
「何でデボチン打つ?」
「ド~ンと突き当たったらゴ~ンとデボチン打ちまんがな」
「それは言葉のアヤじゃ……、すると、この丼池の北浜には橋が無いで」
「そぉそぉ、昔から無い未だに無い、これ一つの不思議でんなぁ」
「別に不思議なことは無い、『橋無い川は渡れん』てなことをいうやろ」
「渡るに渡れんことおまへんで」
「どないして渡るねん?」
「船で渡ろか泳いで渡ろか」
「それではことが大胆な」
「ほたら一体どないせぇっちゅうねん?」
「左へ少し行くと淀屋橋という橋があるなぁ。淀屋橋、



大江橋、



蜆橋と橋を三つ渡る。



お初天神の西門のところに『べにう』という寿司屋がある。この寿司屋の看板が目印やなぁ。こっからズ~ッと北へ一本道じゃ」

~とはいうものの、今のご時世、交差点を一つ間違えるとなかなか道路が渡れない。飛んで渡ろか潜って渡ろか。それではことが大胆な~



~閑話休題~

「十三の渡し、



~たびたび話はそれるが、これがわかる人はかなりの落語通~



~再び閑話休題~

三国の渡しと渡しを二つ越える。



服部の天神さんを横手に見て、



岡町から



池田じゃ」



山猟師の六太夫さんの家はもっと山手の方になるので、この物語はここでおしまい。

街中を少し散走してみる。

池田は江戸時代より西国街道をはじめとする諸街道が集まり、物資の中継地としてにぎわっていた。特に酒造業が盛んで、かつては多くの酒蔵があったという。
呉春株式会社。



吉田酒造。



池田が登場する落語は「池田の猪買い」、「池田の牛ほめ」。



池田呉服座は江戸時代に建てられた芝居小屋「呉服座」を再現してできた大衆演劇場。



物流が発達していたこともあってか、銀行も多い。
朝ドラ「あさが来た」の広岡浅子が設立した加島銀行の池田支店(大正7年築 辰野金吾設計)。旧加島銀行関連として唯一現存する建物。



お店の方にお願いして写真を撮らせていただいた。
扉の厚みが20cmもあるという大金庫や、



受付カウンター、タイル張りのフロアはオリジナル。



旧池田実業銀行本店(大正14年築)。
池田実業銀行は戦時中に住友銀行に吸収されるが、当時の頭取が池田銀行を設立し、現在の池田泉州銀行に至る。



旧池田銀行本店(昭和26年築)。



小林一三記念館(昭和12年築)。
小林一三は池田銀行創立時の相談役も務めている。



詳細はわからないが、こんな建物を見つけた。



窓にはシャッターが備えられ、



同じく頑丈そうな鉄扉のついた土蔵と思われし棟への渡り通路。



別棟のガレージ(?)は日本瓦葺の洋館。



レトロな謎を抱えつつ…。

そろそろ、お腹がすいてきた。寒いから熱いうどんが食いたいなと飛び込んだのは、創業大正12年といううどん屋さん。



といっても、老舗のたたずまいはなく、腰の曲がったおばあちゃんが一人でやっている、ごく普通のうどん屋さん。
あ~、うどん屋さんのカツ丼って、どうしてこんなにウマいんだろう。



熱々のうどんをすすっている間、なぜか「かぜうどん」を思い出してニヤリとしてしまった。

帰路はおそらく男が通ったであろう能勢街道をたどってみる。



商店街を抜け、街道から少しそれると春團治之碑。



能勢街道が西国街道と交わるあたりにかかっていた石の橋が「石橋」という地名のもととなった。中央のくぼみは明治維新の時に失脚した三条実美が長州に逃れる途中、実美がこの橋の上で馬を止め、京に向かって祈った時にできた馬の蹄のあとだといわれている。



能勢街道は中国自動車道で分断され、大阪方面へのルートがわからなくなる。
地元の人に尋ねてみてもわからない。先の男のように、産気づいた女房のために産婆さんを呼びに行く、というような人がいたら尋ねてみても良かったが…。

仕方がないんでいったん国道へ出てから、再びそれらしい道をたどってみると…。



関大の落研といえば、六代目桂文枝を輩出した名門。

やがて道は天竺川に沿い、三国の渡し跡を経て十三に至る。
これといって見どころのない道だったが、どうやら正解だったみたい。



おあとがよろしいようで…。




ネット検索してみると「池田の猪買いウォーク」というものがあって、それがきっかけとなりました。
第一級寒波が押し寄せていましたが、この噺にはそんな寒い日のイメージがあるので、この時期に出かけてみました。
今回は丼池~池田という距離でしたが、「東の旅」ともなるととても長い距離になりますね。玉造から暗峠を越えて…。途中で狐に騙されたり…。

<す>の場合、お酒を飲んだりして気持ちよく幸せになると眠くなるというクセがあって、落語なんかも聞いているうちに気持ち良くなって、幸せになって眠ってしまうんですね。
だから寄席なんかには行けません。もっぱらコチラで楽しんでいます↓





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~ Comment ~

No title

落サイ・・・素晴らしいですね。落語は好きなんですが上方落語はわかりませんので残念ながら十三とうどんしかわかりません。東京でも浅草周辺で同じような落サイが出来そうですね。

No title

> minatocycloさん

東京の下町は是非散走してみたいところですね。
寅さんや両さんの生活感が好きです。

No title

私は内本町近くで生まれたので、どうしても「饅頭こわい」の前半、「本町の曲がり」とか「南農人橋お祓い筋の角」とかの地名に親しみがあります、南北の筋の名前は早くに廃れ、東西の通りの名も多くが住居表示から失われてしまいましたね。地名は文化だと私は思うのですが、反対する人のいなかったもとの南区は無惨なものですわ。

No title

> cancanさん

確かに地名は文化だと思います。。
地形であるとか、歴史であるとか。
旧地名を探ってみるのも面白いですよね。
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