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奈良・古道サイクリング

奈良・古道サイクリング

2016/03/20(SUN)

輪音RUNです。
数日前に体調を崩し心配しておりましたが、なんとか催行することができました。当初は「お彼岸やからお墓参り~」ということで参加表明が少なく、「よしよし、これくらいやったら4’seasonでオムライスが食えるな」なんて呑気に構えていましたが、ウンウンと熱でうなされている間にパタパタとエントリーが続き、蓋を開ければ<す>を含めて13名。
本日は大和の古道と言われる下ツ道~横大路~上ツ道をたどり、オマケに天理軽便鉄道跡をご案内しようという欲張りプラン。
病み上がりの身で大丈夫やろか…。


心配されていたお天気も<す>の体調も回復し、柏原市教育センター前をスタート。



走り出して間もなく<M永>さんがパンク。
これが女性なら寄ってたかって修理するところだが…。
冷たくも生温かく見守る。



大和川を遡上して御幸橋で<CanCan>さんと合流し、もはや恒例となった感がある油掛け地蔵をご案内。



日が差してきて、肌寒さも少し和らぐ。



嘉幡から下ツ道に入る。

下ツ道は平城京朱雀大路から藤原宮を結び、上ツ道、中ツ道とともに7世紀半ば頃に敷設された古道中の古道。これらを合わせて「大和三道」と呼ばれている。

地蔵さんつながりというわけではないが、首切地蔵尊。


(<CanCan>さんから拝借)

昔、この辺りの村に「ユキ」という働き者で才色兼備の娘がおったそうな。
「ユキ~、オラと夫婦になってけろ~」
「ユキをヨメさんにするのはオラだ~」
「オラだ~」
「オラだ~」
と言い寄ってくる村の男たちに、ユキは色よい返事をしなかったそうな。
しびれを切らした男たちは、可愛さあまって憎さ百倍。ある夜ユキを殺そうと寝ているユキめがけて鉈を振り下ろした。
そこにはユキではなく石の地蔵…。
というような伝承も伝わるが、このあたりはかつて処刑場であったらしい。

鏡作神社。古来から鏡鋳造の神として信仰された。



田原本町道路元標。



道路元標とは明治6年に設置された里程元標が元となり、各地の距離程の基準点として設置されてた。大正8年施行の旧道路法では各市町村に一基ずつ設置することとされていたが、現道路法では設置義務もなく撤去されたものも多く、現在では移設されたものも含め現存しているのは2000基程度。収集家が多く、<CanCan>さんもその一人。

下ツ道は近世以後、中街道と呼ばれ当時の主要交通路であった。
大和川に船運があった頃、支流の寺川では田原本が最終船着き場であったことから問屋街が栄え、その面影を見ることができる。



今里の船着き場から堀を開削し、船を引っ張って店の裏手まで直接荷物を運んだそうだ。

ノンビリと寺川を遡上して、



JR畝傍駅で<アルプス親父>さん、<くろちゃん>さんと合流。



橿原神宮や神武天皇陵への最寄駅で、参拝する皇族のために貴賓室が設けられた。フラットホームからは直接貴賓室に向う階段が設置されている。



建設会社にお勤めの<M田>さんによると、
「さすがに良い材を使っていて、作りも贅沢やなぁ」

八木・札の辻。



下ツ道と横大路の交差点で、かつては宿場として栄えた。
横大路は日本最古の官道である竹内街道から続き、初瀬街道から伊勢本街道に通じる。正確には竹内峠を奈良側に下った長尾神社あたりから桜井市小西橋あたりまでを横大路と呼ぶらしい。

オークワで弁当を調達し藤原宮跡でお昼。
本日の面々。



午後は上ツ道をたどる。
上ツ道は猿沢の池から桜井市に通じ、近世以後は暗越奈良街道から続く伊勢本街道となっている。


(<CanCan>さんから拝借)

下見では上ツ道に残る道路元標を探索したが、いちいちご案内していると先に進まないので割愛。

多くの三角縁神獣鏡が出土した黒塚古墳で小休止して、戦艦「大和」の名付けのもととなった大和神社。



丹波市跡。



今では天理教が中心となっている天理市の旧地名は丹波市町(たんばいちまち)といい、このあたりが中心地であったそうだ。
布留川から引かれた堀で品物を運び、この辺りで市が開かれた。その堀はコンクリートでふさがれ、現在は暗渠となっている。
すぐそばの市坐神社には丹波市町道路元標と、かつて布留川にかかっていた青石橋が移設されている。



青石橋の右側に見える二つの穴は馬が踏み抜いたそうで…。

さてさて、これで古道めぐりは終了し天理軽便鉄道跡を探っていく。
自称てっちゃんの<アルプス親父>さんや<くろちゃん>さんにはお待たせである。
天理駅から二階堂、ファミリー公園を経て、このサイクリングのもととなった古い道標をご案内。
東安堵の古い街並みを抜け、「すてんしょ」の道標から木戸池の築堤跡。



天理軽便鉄道は天理教信者の旅客輸送を見込んで1915年に開業した鉄道で、ガソリンカーと呼ばれる小型バスのような車両が走っていた。
確かに行きは天理教信者の利用も多かったが帰りには奈良見物していく信者も多く、その内に経営が成り立たなくなり後に大阪電気軌道天理鉄道線となり、やがて戦争でレールが供出され…。



もちろんレンガ教布教活動も忘れない。



JR法隆寺駅で中締め。
やや向い風の中帰途につき、定刻に遅れること一時間でようやく解散。
お疲れさんでした。


相変わらずの欲張りサイクリングで解散が遅くなってしまってごめんなさいです。
病み上がりとはいえ、みなさんのおかげで無事催行することができました。ありがとうございます。
ネットで調べてみるとまだまだ奈良(否、この場合は『大和』というべきか)の古道は探索してみたいところがありますね。
合わせてこちらをご覧いただけると幸いです。






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~ Comment ~

No title

いつも先頭を引っ張ってもらって有り難うございます。
帰りの柏原市役所を出て急に向かい風になったようです。
いつも先頭で風を受けて頂いてるのは悪いと思って、前に出ましたが、一瞬で消耗してしまいました。
家まで自走しようと思いましたが、へばって輪行で帰りました。
次もよろしくお願いします。

No title

今回始めてのフル参加でしたが、楽しい一日でした。
丁寧で素晴らしい解説付きのサイクリング、いつもの私サイクとはひと味違ったもので良かったです。
これからもまた機会を見て参加させていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。

No title

> くろちゃんさん

お疲れ様でした。
向い風はキツイですね。
解散後は脚が売り切れてヘロヘロでした。

No title

> syokoraさん

お疲れ様でした。
次回は是非奥様とご一緒に~(^^)♪

No title

昨日は病み上がりにもかかわらず向かい風の中ずっと先頭引きお疲れさまでした。何度も走ったところですが、新しい発見がたくさんありました。また初めての方とも一緒に走ることが出来新鮮でした。ありがとうございます。

No title

> nma*d*10*さん

お疲れ様でした。
私も何度か走っているのですが、その時は気が付かなかったことが多いです。
いろんな人のウンチクを聞くことで自分の見聞も広がりますね。道路元標もその一つです。

No title

師匠、着々とレトロ信者が増えてますね。
やはりポタやライドより散策ってサイクリングが王道なのだと確信しました。

No title

> にもさん

走っていて一番楽しいのは、ルートでもなく目的地でもなく美味しいランチでもなく、一緒に走ってくれて同じ話題を共有できる仲間なんですよね。

相変わらず超個人趣味的<す>的なサイクリングですが、共鳴してくれる方々がいてうれしいです。

No title

途中参加にも関わらず健脚の皆さんの脚を引っ張ってしまい申し訳ありません。あの後、40年振りに法隆寺を見てから輪行で帰りました。いよいよ大阪での生活も時間との闘いとなりましたが、機会がありましたらまた参加させてくださいね。アルプス親父

No title

> hm1*7jpさん

来阪の折、時間が合えばいつでも遊びに来て下さいネ~(^^)♪~

No title

この度は途中合流、途中離脱で皆さんにご挨拶もロクにできず失礼しました、翌日から5泊6日の「四国ツーリング」に出掛けておりましたので、すっかり失念しておりました。3/21分のブログも更新しておりますので、よろしければお立ち寄り下さい。
http://canpal.xsrv.jp/myblog/
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